設置研究会りんご/さくら和紙研究会

目的

主要な観光資源である「りんご」と「さくら」の新しい活用方法として、多くが廃棄処分される剪定枝を原料とした抄紙を作製し、産学官連携により、新しい製品やサービスの開発を目指します。また新しい観光資源の創出や循環型産業の構築を実現させることを目指し、会員同士の連携や情報交換を目的として活動していきます。

活動内容

  1. りんごやさくらの剪定枝を用いた抄紙の開発及び試作に関すること。
  2. 剪定枝等を用いた抄紙のニーズ、デザイン、製品等の情報交換に関すること。
  3. りんごやさくら剪定枝を用いた抄紙を広く普及させ、活用を促す方策に関すること。
  4. その他目的を達成するために会員が必要と認めること。

設立の背景

青森県はりんご生産量日本一ですが、剪定枝については、薪などの燃料として使われている以外はほとんど有効活用されていません。また、さくらは一大観光資源となっていますが、剪定枝については、薪などでの利用の他は、家庭で花見を楽しむために一部が市民に配布されている程度で、大半は廃棄物として処理されているのが現状です。りんごもさくらも青森県の主要な観光資源であるため、この未利用資源である剪定枝(注1)を活用することができれば、新しい価値を創造できると考えました。

一方、和紙はねぷたや津軽凧など伝統工芸品に多く使われていますが、東北では唯一和紙の産地がありません(注2)。

そこで、りんごとさくらの剪定枝を用いて和紙(注3)を作製し、ねぷた、燈籠、津軽凧など伝統工芸、お酒のラベルや絵はがき、商品パッケージなど紙製品の他、紙漉き体験ツアーなどの観光資源化としての活用を目指し、COVID-19で低迷している青森の観光地としての魅力再発見、価値向上を目指すための活動を行う事としました。

主な実績

(1)りんご剪定枝を使った「和紙」

 弘前市内にあるりんご園のりんご剪定枝を原料として、手漉き和紙の試作品を作製しました。

 弘前大学プレスリリース(2020.12.8)

 「りんごやさくらの剪定枝を原料とした和紙について

(2)さくら剪定枝を使った「和紙」

 弘前公園のさくら剪定枝を原料として、手漉き和紙の試作品を作成しました。

 参考:弘前大学プレスリリース(2021.4.9)

 「りんごやさくらの剪定枝を原料とした和紙について(第2報)

(3)工芸品試作

 (1)の和紙を用いて、津軽藩ねぷた村の協力のもと、金魚ねぷた等の工芸品の試作を行いました。

 参考:弘前大学プレスリリース(2021.4.9)

 「りんごやさくらの剪定枝を原料とした和紙について(第2報)

(4)紙製品試作

 (1)の和紙を用いて、会員企業の協力のもと、絵はがき、色紙、うちわ、名刺等の紙製品の試作を行いました。

(5)弘前市長への取り組み報告

  当研究会の取り組みを弘前市長に報告しました。

活動紹介

 Facebook にて活動紹介を行っています。

会員名簿

役員 氏名 所属
会長 廣瀬 孝 国立大学法人弘前大学 教育学部 講師
  森 樹男 国立大学法人弘前大学 地域共創科学研究科 教授
事務局 山科 則之 国立大学法人弘前大学研究・イノベーション推進機構 URA
  伊藤 健 地方独立行政法人青森県産業技術センター弘前工業研究所 総括研究管理員
  漆澤 知昭 有限会社アサヒ印刷 代表取締役
  齊藤 元 有限会社アサヒ印刷 執行役員
  大宮 裕介 津軽印刷株式会社 代表取締役
  鹿野 貴弘 常盤洋紙株式会社 盛岡営業所  
  久保 良太 株式会社小林紙工  
  對馬 新 個人会員  

(2022年12月2日)

注1 剪定枝

りんご剪定枝の年間発生量約15万トンのうち、3割を占める細い枝約4.5万トンの大半は園内で野焼されています(「青森県バイオマス活用推進計画」(平成23年12月発行)より)。

さくら剪定枝については、年間発生量の統計値は不明ですが、弘前市で管理している弘前公園のさくらは、太い枝や幹などは炭の原料として活用するとともに、花芽のついた枝を市民に無料で配布している他は、廃棄物として処理されているそうです。

注2 弘前藩と和紙

和紙は、幕府や朝廷に献上品としても活用されていたことから、弘前藩中興の祖とされる4代藩主・津軽信政公が和紙の産業育成を目指し、職人を津軽に呼び寄せ、専門の役人を置き、和紙の原料となる楮の栽培を行っていました。しかし、元禄、宝暦、天明、天保の大飢饉などにより、楮栽培ではなく、食べ物や換金性の高い作物を育てたことで、原料の楮が常に不足していたため、楮や和紙を北前船で上方から輸入も行っていました。最後の藩主である承昭公も製紙業の振興を図るため、直営の紙漉座の設置、楮の植林に努めていたが、結局、藩内での和紙作製は定着しませんでした。

これとは別に、弘前市相馬地区には「紙漉沢」という土地があります。相馬地区には「長慶天皇の潜幸伝説」があり、室町時代、足利氏の追及を逃れるため、長慶天皇がみちのくに下った際に、帯同していた高野山の僧侶が、紙漉きの技術を伝えた、とされています。そのため、地元では「高野紙」と呼んで後世に伝えらえています。

(参考文献:『新編弘前市史 通史編3』、『わがふるさと 新津軽風土記』(船水 清,北方新社))

注3 和紙

 和紙の厳密な定義では、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)の靭皮繊維(じんぴせんい)を原料とした手漉き・機械漉きの抄紙となりますが、本研究会では、便宜上、りんごやさくら剪定枝を配合したものも含めて「和紙」と呼称しています。